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語用論(pragmatics)とは,ざっくり言うと,文脈の中での言語使用を研究する,言語学の一領域である。外国語教育において、この語用論的側面を明示的に教える必要があるかどうかは論者によって見解が分かれるところだ(Loewen, 2014, p. 133)。Loewen (2014)でも紹介されている,

は,外国語としてのスペイン語指導における語用論指導のモデルを提案している。

概要は以下の通り。

本論は,外国語としてのスペイン語のクラスでの語用論の指導に焦点を当て,コミュニケーションの資源としての文法の役割を検討する。また本論は,談話レベルでの発話行為に注目し、言語指導の初期段階から語用論を教える重要性を強調することも目的としている。言語的コミュニケーション能力の一要素としての語用論的知識という概念をふり返った後、語用論の指導に対して提案されているモデルを評価する。次いで、条件法・半過去・付加疑問・非人称表現・副詞類のような,コミュニケーション行為の表現に用いられる文法表現の語用論的機能の検討を通じて,コミュニケーションの資源としての文法指導の方法を提示する。教室で語用論を教える際のインプットの重要性と語用論的変異の役割についても述べる。最後に、教室でそのまま用いることが可能な、4ステップからなる、オンラインの活動を用いた語用論指導のモデルを提案し,語用論を言語カリキュラムに取り入れるよう提言をして本論を締めくくる。

ということで,教材(を通じたモデル)の提案論文で,その効果を実験的に確かめたわけではない。オンラインの活動については中級クラスで試したと書かれているが,学習者の様子やその分析が記述されているわけでもないので,実践報告とも言えない。それでも,いくつか勉強になることがあり,結構面白く読んだ(スペイン語の例を味わいきれないのが残念だが)。

著者たちは,当然ながら,外国語環境での語用論指導を肯定する立場。教室で触れるインプットの多くは手を加えられたものだったり整えられたシナリオだったりで,教室外でフォーマルな状況・インフォーマルな状況に参加する経験も限られる。必然的に,そういう経験に伴うはずの,うまいことコミュニケーションする能力を伸ばすのに欠かせない語用論的インプットは乏しくなる。自然環境ですら伸ばすのに時間のかかることが分かっている能力だからこそ,外国語環境では入門期からシラバスに組み込むべし!べし!というわけだ。

そのために,先行研究で提案されている指導モデルを紹介しつつ,意識を高めること,コミュニケーション上の目的に照らして文脈の中で文法を教えること,地域的変異を適切に扱うこと,談話レベルで発話行為を練習することを強調している。先行研究のモデルについて明確な批判はしていないが,「母語話者のやり方」や「(その言語の使用者に見られる)共通点」ばかりに注目するのではなく,母語話者教師も非母語話者教師も当該言語の語用論的側面についての知識を持ち,会話行為そのものや,文化的差異や地域的変異に気を配るべきだと著者たちは言いたいようだ。個人差を超えてどの程度妥当性があるのかは分からないが,文化的差異については,研究によれば,メキシコ人男性は同性を外見で褒めることは稀だが,アメリカ人男性よりも頻繁に女性を外見でほめるということがある。地域的変異については,同じスペイン語でも,スペインの一部・アルゼンチン・ベネズエラ・キューバ・ドミニカ共和国・ウルグアイの話者がポジティブ・ポライトネス志向を持つのに対し,コスタリカ・エクアドル・ペルー・メキシコの話者は同程度にネガティブ・ポライトネス志向も持つといった違いがあるらしい(後者のほうが,条件法や半過去を用いてより丁寧な言い回しを選択する場面が多い)。それ故に,語用言語学的知識と社会語用論的知識(Leech, 1983)の両方を深めるためにも与えられる教材が,教師からのインプットとともに重要となってくる。

具体的な教材案と指導モデルについては,こちら(インディアナ大学のFélix-Brasdeferによるサイト)を見てもらったほうが早い。著者たちが提案する指導の流れは,

  1. 日常のやり取りを例に意識を高め,
  2. 語用論的インプットを与え(ここでの例は「断り」(refusal)の方略),
  3. コミュニケーションの資源としての文法を教え,
  4. 与えられた状況で,談話レベルでの練習として実際に(「断り」を)やってみる

というもの。

個人的に面白かったのは,まず1.の段階から,同じ発話行為について,対等ではない関係(例えば先生と学生)の例と対等な関係(例えば学生同士)の例を比較していることである。これにより,「いいじゃないの〜」と誘い・申し出を粘るのが,ラテンアメリカとスペインの母語話者に共通して見られるポジティブ・ポライトネス方略だということ,それはフォーマルな状況ではなく,対等な関係でのくだけた会話で適切なものであることを分かりやすく示せる。あるいは教授の提案のような対等ではない関係のやり取りの場合よく見られるのが,理由を述べたり,結論を先延ばしにしたり,相手に助言を仰いだりすることだということも対比によって明白になる。全ての発話行為でこうした比較が有効とは限らないし,現実には相手との関係がはっきりしない場合もあると思うが,一連の流れが首尾一貫していて良い。

次に3.の段階で(「コミュニケーションの資源としての文法指導」というのはWiddowson (1992)の概念に依拠している),発話行為を遂行する直接の表現だけでなく,それに付随して用いられることが多い表現を併せて提示している点。発話行為に特徴的な表現を列挙するのは珍しくなく(この論文でも,枠組みの解説のところで,依頼・助言・断り・褒め・情報の要求/提示について形式と機能と例が表にまとめられている),これ自体は,ややもすると特定の発話行為と特定の形式を固定的な関係にしてカタマリで覚えさせるだけになってしまいがちなので,むしろ注意が必要なところだ。本論の,「挨拶は決まった形式が多いので入門期に向いていて,誘いや断りは複雑なので中級・上級の学習者が適当」(p. 659)といった主張もアヤしく,普通に考えれば簡単な挨拶が先に来るだろうが,入門期にだって誘いや断りが必要になることもあるし,挨拶だって複雑で高尚なものを求められる場合もある。ただ,この教材で,断りの否定的ニュアンスを和らげる効果を持ち得る様々な表現・組み合わせ方を提示しているのは良いと思う。現行の高校「英語表現」の教科書にこの視点を持つものはあるだろうか。

最後に,友だちの誕生日パーティーの誘いや教授の授業履修の勧めを断る練習が用意されている。書き言葉の整ったやり取りではなく,2.で例として聴くのと似たような話し言葉でのやり取りの音声が,自分がすべき断りやその前後の発話部分が空白になって用意されているので,なかなか面白い。やってみると,2.のListen To Refusalsで用意されているサンプルの有り難みがわかる。「パーティーの日時を確認して」とか「行けない理由を説明して」といった指示もあるので,タスクとしてぶっつけでやっても面白いかもしれない。2.の後だとパターン・プラクティス的になるかもしれないが,関係に応じて断りの表現を選ぶだけでなく,前後のsequencingについて意識させようとする作りになっている。

実践した結果が記述されていないので有効性についてはなんとも言えないが,この教材案について大きな課題だと思うのは,語用言語学的側面にせよ社会語用論的側面にせよ,「なぜ」が説明されないことだ。つまり,その表現がなぜ適切・不適切になるのかということについての説明がないか,あっても教師の判断・知識に任される程度になっている。学習者をグループに分け議論を共有すると書かれてはいるが,「はいまわる経験主義」にならないようにするには,そこのところを教材・指導手順としてもう少し丁寧に考える必要があるのではないだろうか。

Standing on the shoulders of giants … tremblingly.