[雑感048] 謝恩会で話したこと。

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昨日の英語科謝恩会でこんなことを話しました、という話(補足アリ)。

※ちなみに今年の追いコンは海外出張中で無念の欠席でした。

みなさん、卒業・修了おめでとうございます。

このメンバーには入学から卒業までの間に本当にたくさんのことを経験させてらいました。今年は特にいろいろなことに一緒に取り組んで、多くを成し遂げられたのですが、私がしたことで最も重要だったのは、みんなを信じること、「みんななら大丈夫」と信じて任せるということでした。

最後までそう信じさせてくれたのはみなさんだからこそですが、この「信じる」というのがなかなか簡単ではない。信じるというのはある種の賭けで、確証がなく、裏切られる可能性もあるからです。「ちゃんとまわしてくれるかな」、「締め切りに提出されなかったらどうしよう」などと考え出せば不安にキリはありません。昼の学部長の式辞は私が過去に聞いてきたものの中でもピカイチでしたが、途中にあった、「自分が全て掌握できるラクな範囲に子どもを囲い縛りつけるのではなく、どれだけ信じて羽ばたかせられるか」という話も同じことを言っていたように思います。その点、私はまだまだアレコレ手を出し過ぎのきらいがありますが、信じて任せることで狭い枠を超えて多くを学ばせてもらいました。そういうみんなでいてくれたこと、そういう関係を築けたことにまずは感謝したい。

「信じる」ことと「不安」と向き合うことについて、今日はハレの日だとしても、みなさんはここのところ、4月以降の自分について不安な気持ちを抱えているのではないでしょうか。毎年この時期はそうですが、いまいち自分のことが信じられないのかもしれない。

どうか、今日の「卒業」という自分の成し遂げたこと、卒業までの自分の歩み、築いてきた関係、仲間の助け、自分の力を信じてください。自分を信じて堂々と自分に賭けてください。

みなさんが不安に思う気持ちもわかります。4月からはまた新人です。それぞれの進路で、今のみなさんから見るとものすごく仕事ができる人、知識・技術に長けた人、到底かなわないと思う人にもきっとたくさん出会うことでしょう。そういう人と自分を比べるとただただ圧倒されて、自分の能力や将来について不安になるかもしれない。

不安を感じるのは決して悪いことではありませんが、今日みなさんにお伝えしたいのは、不安と無縁の人はおらず、みなさんから見て遥か遠い存在に思える人であってもまた不安と向き合って行動しているということです。言ってしまえば当然のことですが、それぞれに悩みながら、本当にこれでいいのかなと思いながらやっている(逆に言えば、そういうことを全く思わなくなったら終わりだと言っていいでしょう)。みなさんへの接し方にしてもそうです。偉そうにすましていても確証を持ってそうしているわけではありません。もしモヤっとするような指示をされたり「どうしてこんな言い方をするんだろう」と思ったりすることがあったら、「この人も(自身やこちらを信じられず)不安なんだろうなあ」と思ってもらえれば、気持ちもいくぶん楽になるのではないでしょうか(理不尽な要求に耐えろという意味ではありません、念のため)。

「謝恩会」に招待してもらうようになってから、謝意を表してもらうに値する「恩」とはなんなんだろうとつらつら考えるのですが、つきつめて言えばわれわれ英語科スタッフがそれぞれに「みんなを最後まで信じ切ったこと」なのかもしれない。「おめでとう」は、語源的には「賞賛すべき素晴らしいこと」ということでしょうが、むしろ私は、この全員で無事に今日の日を迎えられたことが「有り難い」という意味で、私はみなさんに「卒業(まで信じ切らせてくれて)ありがとう」と言いたい。

ありがとうございました。

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