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大学入試の民間英語試験利用問題の賛否にかかわらず、一英語教師から文科大臣まで全員が読むべき一冊。

ただ読むだけじゃなくて、書いてあることを理解して(批判的に咀嚼して)それに基づいて行動するように(特に大臣側に向けた但し書き)。

千葉・埼玉の進学中堅校(偏差値50台前半〜60台前半)6校と進学校(偏差値70以上)4校、あわせてn= 3300強、1年生1学期から3年生2学期までの5時点の質問紙調査に基づく(内2校にはインタビューも実施)。ふだんとテスト期間中の学習時間に加え、部活動日数や友人関係、将来展望、入試方法志向などを尋ねたパネルデータ。

目次はこちらを参照されたい。ここでは「第3章 大学入試は学習誘因となるか」から一つ引用をしておく。ここでは端的に知見のみを引いているが、当然ながら縦断的なデータとその分析に基づいて論じていることだというのが肝要なので、詳細については必ず書籍を確認されたい。

以上のように、進学中堅校に焦点を当てれば、大学入試の学習への影響力は「限定的」なのである。このことは入試改革にとって重要な意味を持つ。なぜならば、学習時間の減少が問題とされる中間層を入試改革を通して学びに向かわせるという政策意図は、彼/彼女らが大学入試を意識して行動しない限り、実現が難しいと考えられるからである。

では、学習時間を伸ばすためには何が有効であろうか。まず、何より強調しておきたいのは、高校1年次の学習時間が高校生活後半の学習時間の伸びを左右するということである。しかも、その伸びは、進学中堅校生徒であろうと、進学校生徒であろうと関係がない。1年次に学習習慣を身につけることが大切なのである。

そのうえで、ふだんの学習時間に着目すると、学習の「場」が注目される。自主的、あるいは、学校から与えられる「場」の効果が確認できるのである。さらに、場面(時期、ふだん/テスト期間中)こそさまざまではあるが、勉強に熱心な友人に、学習時間を伸ばす効果が認められる。勉強に熱心な友人から刺激を受けること、共に学習する「場」を共有することが、苦痛を伴う場合も少なからずある学びに向かう推進力となる(p. 70)。

これを民間英語試験利用の議論に当てはめるならば、果たしてその導入が「彼/彼女らが大学入試を意識して行動」することにつながり、英語の「学びに向かわせる」ことになるかどうかということである。「波及効果」云々を議論するのであれば、序章で指摘があるように「試験対策的学習が強化される蓋然性が低くない」(p. 10)ことを考えた際、1年次に身につく学習習慣が果たしてわれわれが期待するような外国語学習の習慣となり得るか、意味のある「場」の共有に繋がるかを、学校教育の問題として引き取って考えるべきだ(2018年8月のLET58のパネルディスカッションや2019年2月の東大シンポで私が指摘したこともこれに関連している)。某外務大臣の言う通り、「英語教育のゴールを大学入試にしてはいけない」のだから。

定期考査の位置づけや部活動と学習の距離の考察もすこぶる興味深いものだが、個人的に終章の以下の指摘は、実際に複数の高校を訪問し授業づくりを一緒にしてきた評者の実感からも大いに首肯できる。

ところで近年、わが国の学校教育政策・高校教育政策には、多くの先進諸国と同様に、NPM(ニュー・パブリック・マネジメント)の理念が導入され、成果主義やインプットモデルからアウトカムへの転換がなされている(坂野, 2009)。こうした政策は教員の専門的自律性を奪っているといわれる。

教員に対する管理主義や抑圧的な雰囲気があるなかでは、教員は自律的・創造的な教育実践は行いがたいであろう。また、教員の多忙化の問題も解決されねばならない課題である。政策の転換が不可欠だ。

一方で、教育現場にも再考すべき点はあるように思われる。私たちが高校を訪問し、インタビューをとおして感じたことは、進学中堅校生徒の「素直さ」だった。(中略)この素直さは、そこに勤務している教員にとっては、進路多様校や地域のトップ校に比べて相対的に指導のしやすさにつながっているのではないか。そしてそのことが、「これでいいのだ」というある種の思考停止に陥らせてはいないか。そこに勤務している教員が多忙なことはいうまでもないが、現状維持に留まることなく、生徒の学習行動が望ましい方向に向かうように積極的に取り組んでいくことが期待される(pp. 181–182)。

データの詳細な読み取りにはある程度の素養が要求されるものの、記述は具体的でコンパクトにまとまっており、グラフも平易に示されている。高校現場に関わりを持つ者にとっては感覚的にも理解しやすいことが多いはずだ。自分たちの現状とこれからを考える上で多くの示唆を得られるだろう。

そして、日頃エビデンス、エビデンスおっしゃる教育行政関係者の皆様方におかれましては、大学入試センター所属の研究者を中心とするチームがこれだけの時間と労力をかけて明らかにした実証的知見を参照も検討もせずに、牽強付会な「わめき声」だけで「やってから後悔」なんて、長きにわたって禍根とダメージしか残さず、公教育にとって大迷惑でしかないことするわけがありませんよね?!?!

ね?!?!?!