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昨年11月、それ以前から伴走してきた三重の高校の先生の助言者を拝命し、全国英語教育研究団体連合会(全英連)三重大会に参加した。『第69回大会紀要』にも掲載されている私のコメントにスライドの補足を添えて(ただし個人名はイニシャルに置き換えてある)。

初めてT先生の授業を拝見した2年前、よくある通常の語彙の解説ではあったが、jaggedという単語を導入する際に、T先生は、机を実際に触って見せながら「この机の端っこぎざぎざ、何て言う」と訊いた。英語熟達者の領域にいると英語学習者に向けて何かを「授ける」と捉え、学習者もまた「与えられる物を受け取る」と捉えてしまいがちである。しかしここに共感的理解は発生しにくい。T先生が、単語の導入一つとっても生徒の目線に下りて、これを少しでも彼女らにとって意味のあるものとするにはどういう問いかけをしたら良いかを考えて授業を作っている先生であることが窺えた。

What is your favorite app? What is one thing you can change?というSmall Talkの際、欠席の生徒の代わりに見学の教員が急遽入ることとなった。その時も“Ugh! H-sensei has ガラケー.”(T先生), “No smartphone.”(H先生)と自然な反応を見せ会話をしている。先生が発する英語には、予定で決まっている表現だから、これを提示する必要があるから言う、というものがなく、常に展開に応じたメッセージとして英語を発している。共感的対話の一つの現れである。

活動の後の全体のシェアを長くとっている。2人くらいで良いと思われるところでも、授業の流れで生徒の声を拾いたくなればさらに訊く。ここでの鍵はT先生の「追い質問」である。他の生徒も聞いている中で、規定の質問以外にも生徒の答えに対しT先生が質問をし、生徒は即興で答えなければならない。聞いて質問をする能力のモデルになっている。またSmall Talkの効果の一つとして、T先生の使った表現や他の生徒が使った表現を取り入れて自分の発表で使っている様子が伺える。追い質問に対する生徒の答えを拾い続けることで、T先生が聞いてくれる、amplifyしてくれる、 あなたが言いたかったことはこうね、とrevoicingしてくれると生徒が思えることが、共感的対話の顕著な現れである。

学習指導要領で全教科に渡り「主体的で対話的で深い学び」が求められているが、外国語の場合、対話そのものが学習対象である。教科の特性として対話自体の吟味が不可欠である。話題に対する他者の存在を想定することが重要で、単なるおしゃべりではない。T先生が共感的に聞いてくれる、T先生との対話全てが意味のあるメッセージとして教室に共有される、ということが本実践に通底する大きな特徴だと言える。

グループでLarry Pageの難しい表現を読み解いて解説をするという発表活動があった。素晴らしいのは、T先生は授業を受ける人、つまり英語学習者の領域に下りつつも英語の対象世界との学びを保証していることだ。先生は下に下りるが、熟達者の領域からの学習がないとchattingで終わってしまう。生徒が難しい表現と格闘する部分も保証している。例えば“Find the leverage in the world so you can be lazier.” という名言は発表者にも聞き手にも最も解釈の難しい内容の一つであったが、授業冒頭のSmall Talkでのやりとりを考えれば腑に落ちる内容となっており、対話からのごく自然な接続が実は図られているのである。

最初に授業を拝見したとき、正確さにこだわらない、メッセージ伝達中心の気持ちのいい授業であると感じはしたが、単元を通じて何ができるようになるかという目的・視点の提示があればさらに良いというアドバイスをし、Goal Activityの設定の意識に繋がっていった。

翌年、建築家の伴さんについて取り扱った際、open-endedな問いがあった。追加資料として新聞の関連記事を配り、T先生は何も価値判断を示さず生徒たちに行間を読ませたが、生徒間でdifferent perspectives/opinionsを交流する機会とはなったものの、回答に多様性が生まれにくいという問いの限界も見えた。思考力・表現力を進化させるためには、「考えて読む→理解確認→考えて話す→書いてまとめる」のサイクルをうまく作っていくことが求められ、各活動で生徒たちが活かせるようなdifferent perspectivesの提示・共有が必要である。

実践を進めてきた結果、生徒たちはT先生との対話からは学びを得ているが、生徒同士の会話はどうかという方向にわれわれの視点が向いた。3年生の発表活動で、リサーチをして発表をする生徒は「授く人」に上がるが、これにはメリットだけでなくデメリットもある。発表者自身は「わがこと化」が進み学びが大きい一方、聞き手には難しくなるからだ。

6月の発表のテーマは身近なもので、生徒にも生活経験があり、T先生が対話を繋ぐことの出来る内容だった。他方、最後の発表で展開されたのは、例えばアウシュビッツのホロコーストやトランプ大統領を例にとった差別の話で、CEFRのC1、C2レベルの内容・構成である。ここまで来るとT先生といえども即時に拾い共感的対話を拡げるのは難しい。しかし逆に考えると、発表グループだけとはいえ生徒たちがこの高みにまで到達したことは本当に素晴らしいと言える。

T先生の研究の目的は十分に達成されている。社会的な話題、背景知識を求められるような話題になると先生が対話的に繋ぐことが難しく、そこでの教師の振る舞いはどうあるべきかという課題が見えたが、課題が多く見えてくる実践の方がよいと考える。ここまで辿り着いたのは平素からの共感的対話に支えられた単元の積み重ねがあったからに他ならない。3年生の授業に関しては、生徒が高いパフォーマンスを見せた際の細やかなフィードバックの質や、社会的な話題の発表活動をinteractiveにする授業の仕掛け、ルーブリックを設定した上でその場と事後のフィードバックを効果的にするための工夫などを今後の課題として共有できた。ここまでの実践の歩みこそT先生の共感的対話の最も素晴らしい所で、この共感的対話こそが生徒に英語による思考を深めた主たる要因である。