[メッセージ] 181日後に異動するワニ、もといワタリ

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私事で恐縮ながら、今年度いっぱいで大学を異動する。以下の文章は、面識があって繋がっている人たちへの報告として、4月2日にFacebookに投稿したもの(非電通案件)。

ゼミ生や共同研究等で関わる人などには既に伝えていることですが、誰に伝わっていて誰に伝わっていないかわからなくなるので、ここで報告させてもらいます。

私事ですが、今年度いっぱいで静岡大学から異動します。異動先は、研究仲間界隈で酒の肴的クイズになっているので、適当なタイミングまで伏せることにしますが、ともあれ県外です。特に静岡県内でご用向きがありましたら、今年度の内にお声かけください。また、お声がけの上、気軽に研究室にお立ち寄りください。といっても、一日も早く今の混乱が収束することを願うばかりですが。

一応、理由のようなものを書いておくと、4年おきに自分の身の処し方を考えることにしています。入学してきた学生が最短で卒業するまでの期間に、そこで自分が何を求められ、何ができ、何が課題や可能性として残ったか。なので、一箇所で定年まで働くというイメージは最初から持っていません(私の世代が老いたときに「定年」などというものが存在するとも思っていない)。

一つには、そのサイクルの中で、個人でやるべきこと、やれることはあらかたやり尽くしたという思いがあります。授業についてもゼミについても、学生・院生に恵まれ、着任した時に想定していたよりも遥か遠くの景色まで見せてもらいました。強いて言えばやっていないのは博士号を出すことですが、これはもう少し私が熟してからのミッションになろうかと思います。

静岡大学での勤務は9年目に入りました。「4年おき」で言うと既に2サイクルが経過したことになりますが、これは必要なことでした。むしろ学生が先生になってからを見守りサポートするほうが重要であったり、働き出して、教員養成が4年で完結するものではないということがすぐに分かったからです。小中高の先生方と今のような関係を築けるようになったのも2サイクル目以降だというのを実感しています。

その反面、静岡県の先生がたとの関係は少々濃くなり過ぎたように思います。私は、前任の三浦先生にくっついて行った協議会などで「生意気な若造」扱いされている時期が最もやりやすく、先生がたとの関係としても健康的だと思っているのですが、年月を重ねる内に、対等な目線で語り合える先生がたも指導主事や管理職になって、否が応でも先生がたの接し方は変わって来ざるをえないし、そもそも私も「若造」の歳ではなくなりました。しかし、そうして生まれる権威性が、仮に今はまだ悪くないとしても、県内の先生がたにとって良いこととは思いませんし、私自身がそこに甘えて自分をダメにしたくない。これがもう一つです。実践研究という面では、再びチャレンジングな環境に自分を置いて、困難にぶつかりながら、新たな可能性を切り開いて行きたいと思っています。

最後に、40代の自分はどうありたいかを考えてきました。東日本大震災の頃だったか、弁護士か何かの方が、「20代は周りの人と一緒に仕事ができるようになる時期、30代は誰かのために仕事をする時期、40代は自分が納得できる仕事をする時期」といったことを言っていて、やけに納得しました。これまで、私自身は大したことがないにもかかわらず、人に恵まれ、特に30代の10年間で身の丈以上の多くの仕事に携わることができたと思っています。その感謝もあって、特にこの数年は、求められばどこでも厭わず走り回ってきましたが、これから先の10年は自分の興味・関心を優先した研究に多くの時間を割きたいと思っています。そういうことができそうな場所を、また個人でできることの幅を広げ、組織レベルの挑戦としてもやりがいが感じられる場所を異動先として選びました。

静岡大学、また前職も含め静岡には感謝しかありませんし、食、住、人、すべてにおいて静岡で本当に良かったと心から思っていますが、この8年間での地方国立大学の疲弊は言うまでもありません。日に日に貧して鈍するのを食い止めることに優秀な先生がたの労力が割かれているのを見ていると、なんとも痛ましくやるせ無い気持ちになることがあります。今後、大学という組織の単位は薄まり、研究者個々人同士の横のつながりでの研究・教育の形が加速するのかもしれませんが、どうか私が異動した後も、ガッツを見せて、お前なんかがいなくても平気のへーでむしろいた時より年々盛り上がってるわいという姿を見せつけて欲しいものです。数年前に異動した元同僚には、50代になって君が学部長として戻ってくるなら副学部長をやってもよいと言ってあります(本気の冗談です)。

最後の一年、私のできる限りを精一杯静岡に刻んでいきたいと思います。長文失礼しました。


ということで、投稿した時は残り364日だったが、あれやこれやと前期をもがく内に残り半年となった。

後期は、最後の半期ということもあり、毎週、特別授業をすることにした。ゼミ生に要望を聞き、中心を中学校に置いて「英語授業づくり特論」と題した。考えだすと、これがなかなか難しくて面白く、なかなか面白くて難しい。正規の単位ではないならいっそと、先生になったらなんとなく流してしまいそうなことを、回数が許す限り一つひとつ点検し問い質す内容にしてみた。かえって参加者を深く悩ませる気もするが、まあでも私が残していけるのはそういうものだろう、と思う。問いを個別の実践へ、個別の実践を教育の一般へ、その相克から各々の授業の普遍を。

参加してくれる学生・院生に、私のstate of the artというほど高尚なものでもないが、とにかく今私が持てる全てでぶっつかって、真っ白に燃え尽きて春を迎えたい。タンポポが次の土地に飛んでいくための通過儀礼のようなものだ。

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