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[雑感096] いま子ども・教師・学校の何を語るべきか(『教育』2021年9月号)

[雑感096] いま子ども・教師・学校の何を語るべきか(『教育』2021年9月号)

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『教育』の今月号は特集1も特集2もとても良かった。特集1は全論考、先生がたにお薦めで、立川論考で無茶苦茶にも程がある大阪の実態を共有すべきだが、特に宮川論考が素晴らしい。いま小中学校で教えている知り合い全員に配りたい。

今この状況で、特集2で菅間さんが指摘する、「…確かな自己像をもてず、明日にはもっと意味ある生き方ができるという確信もない。個別教科でどんな認識を獲得させるかのもっと手前で、個が抱える存在不安、実存不安にどう取り組むのかが大きな課題になっている」(p. 68)ということについて、私が主に関わる範囲では外国語教育の文脈でということになるが、もっともっと真剣に引き取って考えるべきだろう。そしてこの指摘は、子ども・若者だけでなく、というよりも大人にこそ当てはまる(ことの皺寄せが子ども・若者に降りかかっている)のではないかとも感じる。

関連して、去年先生がたから寄せられた相談の声を出発点とする論文を、そういったことが過ぎ去ったものになることを覚悟して、むしろそうなってくれれば良いと願いつつ、下記のような書き出しで教育方法学会の機関誌に書いたのだが(もうそろそろ発行)、終わりのほうで菅間さんと重なる言及をしている。

「全員マスク着用で、距離をおいて、ペア活動などはなるべくしないようにという指示があった。どうしたらよいのか」。「今の状況でどのようなコミュニケーション活動ができるのか。コミュニケーション活動なしに集まって授業をする意味があるのか」。先生方からのこうした相談が、2020228日以降の全国一斉臨時休校ののち、新学期を控え、あるいは学校が再開されるにつれ、校種を問わず私のもとに寄せられるようになった。

つまり、今われわれが心配すべきなのは、授業でのペアやグループでの活動が抑止されていること以上に、日常的に他者との接触や感情の解放を長期に渡ってあるいは繰り返し抑制され続けることが、(a)児童・生徒の心身の発達に与える影響や、(b)互いのコミュニケーションの見方やあり方を変容させる可能性、そして(c)母語や外国語で実際にやり取りを行う能力の発揮や伸長に与える影響だろうと思うのである。そう書いた時には、今日現在のような状況になることは予期していなかったのではあるが。昨年の日本教育行政学会でも、去年の実態に基づいてこうした考察のベースとなる報告をした(こちらも年報が近い内に発行)。

  • 亘理 陽一 (印刷中).「変わらない言語教育の課題と、言語教育の向かう道筋: 外国語教育を中心に」『教育方法』50.
  • 亘理 陽一 (印刷中).「露わになったこと、見直されたこと、見過ごされていること: 教育方法学から見た『学びの保障』」『日本教育行政学会年報』47, 2–5.

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