レビュー
[本083] 佐藤(編)『学習する社会の明日』

[本083] 佐藤(編)『学習する社会の明日』

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教育学関連の講座モノではないので、つい最近まで存在を知らなかった。

広田担当章を読むために入手したのだが、井上義和「教育のビジネス化とグローバル化」(pp. 103−129)がとてもinformativeで勉強になった。カーン・アカデミーなどに触発されて事業に取り組んできた賢い人たちが当然たくさんいるわなあ、と。

結論を先取りしていえば、論争や幻想はどちらも〈理想の教育〉から派生するのに対して、ビジネスの世界で追求されるのは〈快適な教育〉である。しかも前者では必ず制約条件となるコストの問題をいかにクリアするかをめぐって後者はしのぎを削っている。すなわち『教育とはいかにあるべきか/その費用を誰が負担するべきか」という規範的な論争から「教育はどれだけ安く広範囲に届けられるか」というオープン化の競争へーーこの新しい主戦場には論争も幻想も入る余地はない(p. 105)。

著者がこう書く時、「快適な教育」は直ちに万人に良いものというニュアンスをまとうのに対して、「理想の教育」には手の届かない、非現実的なものというニュアンスが暗に込められていて、その価値負荷的な言い回しが気になるが、最後に「〈快適な教育〉にブレーキをかける役割は〈理想の教育〉パラダイムを措いて他にない」と述べ、「〈快適な教育〉は相手を選ばない普遍性をもつが、自身を抑制するブレーキ装置を内蔵していない」ことと「そうした工学的に望ましい〈快適な教育〉が、教育学的に望ましい教育である保証はない」ことを指摘している(pp. 124-125)。

これが、コロナ禍の前に書かれたもので、「未来の教室」云々が実際に走り出す前に書かれたものであるという意味でも示唆に富む。

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