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[レビュー065] 今井ほか『算数文章題が解けない子どもたち』

[レビュー065] 今井ほか『算数文章題が解けない子どもたち』

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著者らが開発した「ことばのたつじん」と「かんがえるたつじん」の調査結果報告。

2019〜2021年に広島県と福山市で行った小2〜5年生へののべ約2660人への調査(同一児童に対するパネルも含まれる)に基づくもので、今井先生らのこれまでの研究の実践的応用編というところ。特に「ことばのたつじん」テストの内容や結果は言語教育にも直接かかわるところであり、基本図書として広く読まれるとよいと思う。

一方で気になる点もある。(某テストの「素晴らしさ」を一方的に喧伝するような書き振りとは違って)結果の解釈に慎重な様子は研究者としての良心が感じられるが、結果変数の「算数文章題テスト」やここで「標準学力テスト」とされている国語・算数のテストの妥当性には一切踏み込んでいない。もちろんそれが、児童がサバイブすることを求められる学校の「学力」であることは事実だが、今回の結果は、それらのテストが、「ことばのたつじん②空間・時間のことばの運用」と「かんがえるたつじん③推論」で測られる知識を強く求めるものになっているという意味合いのほうが強い気もする。つまり、左右、後先、前後といった関係理解や、推移律やパターンの認識に依存した出題が多いということだ。「かんがえるたつじん①整数・分数・小数の概念」で測られる数の相対的な大小の感覚が重要だと著者たちは考えているが、それを明確に示す結果は得られていない。そこには、そもそもの結果変数の側の問題もあるのではないか。

この辺は算数・数学教育の人たちがどう思うかを聞いてみたいところだが、上記の印象は、「もっと根本的な問題は、子どもたちが、算数の文章題を、自分にとって解く意味があることだとは思っていないので、数字を使って思いつく演算をし、答えが出せればよいと思っているということ、つまり、算数の問題、特に文章題に対してもっている認識なのではないか」(p. 42)といった著者らの指摘からも促される。著者らはそういうふうに捉えてはいないが、要するに、当該児童たちにとって(授業や)「算数文章題テスト」・「標準学力テスト」に意味が感じられないから、そういう結果がもたらされているのでは?ということだ。その意味では、(たとえ著者らがそういう認識を持っていないとしても)本書で示された結果が古いピアジェシャン的に捉えられなければいいのだが、と思う。脱文脈的な文章題でもちゃんと答えられるのが「学力」だと言われるかもしれないが、これまで状況論的アプローチの研究でたっぷり明らかにされてきたように、児童にとって納得の行きやすい具体的な状況設定があればもう少し正答率は上がるだろう。例えばえみさんとあきらさんの家と学校との位置関係を説明する際、「えみさんの家から学校までの距離は3.6kmで、あきらさんの家から学校までの距離より3/5km遠いそうです」という説明の仕方を日常ですることは考えにくいのだから(お前はどこにいる誰やねん問題)。

その点でタイトルはやや気に食わない。かつての『分数ができない大学生』と同様の売るためのタイトルというところだろうが、本書が記述的な研究成果の報告であることを強調しているだけに、「解けない」、「学力不振」というのは価値判断が出過ぎではないか。下の学年の上位層と上の学年の下位層に重なりがあるとは言え(そんなことはある意味で当たり前の結果であるが)、平均正答率としてはどの問題も学年進行と共に単調増加しているのだから、集団として子どもたちは「解けない」ままで留まっているわけではない。著者らは、子どもたちの誤答を引いて、大人には当たり前でも子どもにとってはそうではないという書き方をしているが、私はこの結果が調査対象の小学生に限られたものかどうかを訝っている。ひょっとすると大人たちにやってもそれほど大差ない結果が返ってくるのではないか(これについては同時に、過去にさまざまな形で積み上げられてきた算数・数学教育の成果が参照されているとよかったのにと思うが、それはまあ算数・数学教育の人たちの仕事と言える)。

それでも、「子どもたちの間の個人差は、推論ができるかできないかということによるのではなく、認知処理の負荷に対処して推論ができるか、負荷に負けて推論ができなくなってしまうかというところから生まれている」こと、つまり「推論そのものができないわけではない」(p. 178)ことを明らかにしている点は本調査の優れた功績の一つだろう。拙共著『英語教育のエビデンス』でも述べたように、英語教育についてもこういう調査・分析に耐える共通成果変数の開発が必要だ。

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