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[レビュー082] 渡邉『「論理的思考」の文化的基盤』

[レビュー082] 渡邉『「論理的思考」の文化的基盤』

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著者のこれまでの研究の集大成とも言うべき重厚な一冊。ウェーバーの「合理性と合理的行為の4類型」をベースに、教育の目的と手段の対立に基づいて、教育文化の4元モデルを提示している。

本書の学術的意義は終章を読んでもらう方が早いが(その意味で終章を読んでから前に戻る読み方もありだろう)、「学校で教える文章の『書く型』が『思考の型』を作り、歴史教育の『語り』が『推論の型』を形成する」(p. 277)という仮説の下、4つの理念型に対応するアメリカ・フランス・イラン・日本の作文教育・歴史教育、大学入試問題が知識社会学的に比較される。終章では国際誌の学術論文における想定や規範のズレにまで話は及び、読書感想文から査読まで射程は広い。

教育学を学んできたものからすると、「社会原理」に括られているもの(構成主義、子ども中心主義、社会適応主義)を一緒くたにしていいのかという疑問や、ビースタであればデューイの意図についてこの類型に当てはまらないことを言うであろうといった批判が浮かぶし、教育方法学の立場からは、各国の学校教育においてこの理念型に当てはまらない実践を掘り起こし、その文脈と挑戦性を事実に基づいて意味づけていくことが問われていると言えるが、本書の分析に納得するにせよしないにせよ、言語教育に携わる者は一度は通らなければならない文献だ。

特に日本の学校教育の中で外国語としての英語の教育に携わる者は、(アメリカが英語の全てではないのは当然としても)自分がどういう理念型をベースに置く言語の思考表現スタイルを教えていて、自身や、日本語で展開される他教科がどういうスタイルを基礎に置いているかという問題を考えざるを得ない。

いわゆる「英語らしい」、「英語モード」とされているライティングの型を絶対視するのと、分析的に相対化した上で取捨選択して使いこなせるようになるのとでは雲泥の差がある。英語を使う以上、それに乗っからなければならない部分と、自分たちが児童・生徒になってほしい「すぐれた言語の担い手」像との距離やズレについて、本書を通じて先生がたが校内・学年内・教科内で、あるいは英語科と国語科で議論を深めるといいかもしれない。

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