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[レビュー064] 児美川・前川『日本の教育、どうしてこうなった?』

[レビュー064] 児美川・前川『日本の教育、どうしてこうなった?』

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先日、立ち話で本書の話になって「亘理さんはどう思った?」と訊かれ、Facebookで流れてきた内容紹介の印象で「正直、好きじゃないですね。そうやって後から好き勝手言うのはいい身分だなと思うけど、現に今奔走している関係者のための議論になっているかといえば」と答えた(合田さんの責任を問う議論はあってもいいが、合田さん個人の性格を難じても、例えば現行指導要領に基づく評価を明日解説せねばならない指導主事の先生方の悩みは一つも減らない)。

この会話がなければ手に取らなかったと思うが、読んでもやはり上記の感想は変わらなかった。むしろ(前川さんはやってきた実務とその時の所感や回顧を述べる役割だとしても)児美川さんの追従というか、傍観者的な仕切りに読んでいてイライラしてきたほど。少なくとも本書を読んで、教職の未来に明るい展望を描ける先生や学生はいないだろう。

苅谷さんが『追いついた近代 消えた近代』(岩波書店)で知識社会学のアプローチでしつこく論証しようとしたことをサラッと体験談的に所与のものとして(そのことの問題は今は問わないことにするが)、前川さんは政治家や財務省(大蔵省)が悪い(結局お金がないのが悪い)と指摘するのだが、じゃあ中にいたあなたはその予算の獲得のために何をしたんだ、あまりにも無責任じゃないの、ねぇ!と思っていたら、「あとがき」にそのものズバリの反省の弁が述べられていた。

前川さんとしては、(自由や自主性を重んじるラディカルな)自身の信条とは別に、文部官僚として政治や社会情勢から降ってきた「厄災」のダメージを少しでも軽減してあげたんですよ、私の奮闘で!と言いたいのかもしれないが、「どうしてこうなった?」に対する回答のひとつとして「まさにあなた方のそういう姿勢では」と言いたくなる。

「文科省は政治の下にある下部機関ですから。やらされるんだからしかたがない。文部科学省という独立の人格はないんですから」(p. 113)と堂々と諦念を示すわりには、終始「文部省のなかにそういう考え方が強かったかというと」とか「文科省の考え方」、「文科省自身」といった言い方で話をするあたりの矛盾。細かいように思われるかもしれないが、2章で教育基本法改正を批判した際には憲法という上位法を持ち出したのに、6章で給特法廃止を訴える際には、労基法を上位法とはせず、「給特法ができる前は、法的には労働基準法が公立学校の教員にも適用されることになっていた」(p. 138)と論じてしまう矛盾。現実的には、そのずっと前の段階でつまずいている実態があるのだから、特に高校の学習指導要領は「試案」のような位置づけでよいと主張する一方で「修得主義」を求める(この2つはただちに矛盾するわけではないが、そこをつなぐ地に足のついた論理が展開されているかと言えば、全然そんなことはない)。教育の外にいる人の放談なら許せても、ザ中の人がこうだとなあ、という感想。

しいて言えば、ベネッセなどの民間教育産業が踏み込んできたことについて、文科省が「よく考えていなかった」という言質を引き出した点が貴重だろうかという程度で、最近、私の投稿を参考にして本を買っているとの声を多くもらうので敢えて明記しておくと、先生方にとって購入の必要性は低いというのが私の評価(お金を出して買うほどのものではなくて、読みたかったら借りたりすればよい)。確かに本書の内容は先生方や学生にはほとんど知られてないことなのだが、お金を出すなら他の本のほうがいいと思う。院生ぐらいにならないと難しいにせよ、学生ならがんばって苅谷さんの本を読んだほうが得るものは多いだろうし、文科省の中の話なら青木さんの中公新書を読むほうがいい。

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