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[レビュー066] 鈴木『学校組織の解剖学』

[レビュー066] 鈴木『学校組織の解剖学』

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価格からも明らかな通り、研究者向けの研究書。

東京大学に提出された博士論文に基づくもの、と書くと中身の前にある種の色がついてしまうが、長く公立高校・中学校の教諭として勤めた、著者の現職の立場で言えば「実務家教員」に当たる者だからこそできる研究のひとつの到達点を示していると思う。少なくとも私には無理だ。学校や先生がたと比較的深く関わっているし、管理職や指導主事の先生とも頻繁にやり取りするほうの大学教員でありながら、学校の本書で記述されている側面にはほとんどコミットしていない。教育学の内、授業(研究)を通じて関わる専門分野でよかったとさえ思う。しかしその背後には、本書で描かれているようなことが日々学校で展開されているわけだ(大学教員としての会議と重なるところがないわけではないが)。その意味で、教育方法学者や教科教育研究者にとっても、学校という組織の有り様の理解を深める上で読む価値はある。

データは、著者が現職教員で院生でもあった2009年から2011年にかけて東海地方のある中学校で集められたもの(元となった論文の大半は著者が大学教員に転出してから博論提出までに各所に投稿されたもの)で、2022年現在において、10年前の4、50代の教員が交わす「生活指導」の議論自体に古さを感じないわけではない。ただ、その個別の事例を超えて、「『教師』という主部には何らかの『良いもの』について『指導する』ことが規範的に結びついており、それを切り離すこと、すなわち『指導しない』ことを選びとることの難しさを示唆している」(p. 169)といった分析は、現状でも随所に見られる一般的実態に触れていると言えるだろう。この「何らかの『良いもの』」は時に教員にとって組織内での「自律性」の源泉でもあるというのが本書(第11章)の分析ではあるが、この規範自体を相対化させない組織構造やその視点の弱さに教職の苦しさが表れているように私は感じた。さらには本書で示されたやり取りやインタビューの記録を読んでいると、「教育的価値」を何らかの正当化の根拠とすることが、教育学の外ではウケないことが多い理由もよく分かる。

個人的お薦めは第9章で、読んでいて思わずイライラしてしまうぐらい、「文書主義や反管理教育の規範を尊重すべきものとして参照しながらも、その両者に違背する、『文書に拠らない』かつ『管理教育的な』指導を否定してはいない」(p. 194)教員集団の様子が描き出されている。

やや専門的なツッコミとしては、「成員カテゴリー化装置の特質」のうち、「成員カテゴリーのレリヴァンス」は丁寧に描かれているが、「成員カテゴリーの管理権」の学校という組織、あるいは当該中学校の特殊性については(委員会の垂直的構造を通じて示唆はされているものの)明示的記述は弱く、「成員カテゴリー間の序列」については{新任者}の分析にとどまっている。当該中学校内の、あるいは教員個々人のカテゴリー間の序列についてさらなる分析が求められ、また、第5章の「説明責任」の議論からも明らかなように、本書のデータは「保護者」が関与しない議論に閉じているが、学校組織のさらなる「解剖」としては、保護者や生徒が関与する場合に上記の特質がどう立ち現れるかについての分析も必要ではないか。

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